Miku‘s (ミクス) のコンセプト

<ビジョン>
自身に満ちた豊かな人生を創造する

<ミッション>
ひとりひとりの心に寄り添い、お客様と共に理想の実現に努めます

<コアバリュー>
感謝の気持ちと誠実な対応でお客様に信頼されるサロンであり続けます

オーナー プロフィール

充実した結婚生活が・・

資生堂の美容部員を経て、化粧品販売とフェイシャルエステの店舗にて15年間勤め、出産を期に退職する。
娘の出産直後に元夫が勤めていた親族経営の会社が倒産し、保証人となっていた夫は借金の返済が始まり、私も働くことを決断。

しかし子供の保育所が見つからないため、貯蓄や保険金の切り崩しと内職でなんとか生活を維持していた。
ようやく数年後親族の会社が経営を立て直すも再度倒産し元夫は完全に無職に。

夫はなんとか再就職できたが収入は激減する。

娘が幼稚園に入り、短時間のパートを始めるが全くの焼け石に水状態。

頑張って借金を返済するが・・

39歳で娘の小学校入学と同時に学童保育を活用し、フルタイムの事務職に就職することができる。

自分の収入は増えるが元夫の収入が不安定で不足が多く、休日にもアルバイトに行き生活費を捻出するも先行きが見えない状態となり、夫婦間に大きな溝が出来てしまう。

このままでは全員が潰れてしまい子供もまともに育てることができないと思い、奈良の親戚を頼って娘と二人で身の周りの物だけ持ち大阪の家を出て離婚する。

やっぱり大好きな美容の仕事へ・・

親戚に住居だけではなく奈良での住宅リフォームの営業の仕事を紹介してもらう。

子育て中はずっと休日や勤務時間の安定していた事務職に就いていたが、子供が成長し時間の余裕もできたことで土日出勤や残業の多い営業職で正社員として働くことができた。

そのおかげで収入や生活が安定し自分のために使えるお金も増え、将来のことを考える余裕ができるようになり、美容関係で人と関わる仕事がしたいと想うようになる。

またずっと担当してもらっている美容師さんからも「絶対に向いているので美容関係の仕事に戻って!」と言われ続けていたこともあり、55歳で美容関係の仕事に復帰することを決意する。

美容関係に戻るなら大阪でとの思いがあり、大阪へ転居する。
転居後すぐにベルリーナ化粧品に就職が決まり、美容&営業の仕事に就く。

販売店やエステサロン・個人のお客様への営業やアドバイスをしている中、エステサロンオーナーの方々が年齢を重ねても生き生きと輝かれていることに感銘をうけた。

その中でも仕事でサロン・ド・ポムさんとの出会いにより、お客様への想い溢れる姿をみて自分も同じような仕事につきたいと想うようになり、お世話になったベルリーナ化粧品の社長に想いを伝え退職させてもらう。

コロナ禍で・・

フェイシャルエステの技術はあるがボディの技術がなかったため、標先生にリンパの基礎を習い、より経験を積むために職業訓練に通うことにした。

58歳でアロマ検定1級とボディ&フェイシャルの認定エステティシャンを取得し、神戸のホテルスパに就職する。
新規オープン間もないサロンということもあり、中心的な一員として業務に携わる。

しかし入社半年後にコロナ禍に入り、営業休止や自宅待機など業務ができない状態となってしまい、勤務時間や施術が減り収入は大幅に下がり、生活に影響が出たのでドラッグストアでダブルワークを始める。

サロンオープンに向けて

コロナ禍の収束とともにお客様も増え収入もコロナ禍前に戻り、サロン勤務に集中できるようになった。

しかし本来の業務が忙しくなるのは有難いことだが、サロンに出勤している時間が一日11時間を超えることも多く、通勤も片道1時間以上かかることから疲れが抜けない日々が増える。

指名のお客様も増え収入も安定はしたが、体力的な限界も感じるようになり、休日は用事がなければただただ体を休めるだけで、肉体的・精神的なゆとりがなくなる。

肉体的・精神的にゆとりがなくなると必ずほころびが出てくる。

そこでお客様にきちんと向き合いたいと想い、ゆとりある環境での仕事を探すこととする。
仕事を探す中、卒業した職業訓練校で在校生に向けて“高齢でもエステ業界で就職できたのは”という内容で「年齢は強みである。前向きに自信と熱意を持って伝えることが大切である」と話をさせてもらい、これは自分自身にも当て嵌まると気づく。

*自分にできる精一杯の笑顔でお客様に笑顔でお帰りいただきたい。
*年齢でチャレンジを諦めてはいけない。

との想いでサロンの開業を決意した。